ラストブアスに出てくるディーナの宗教
ラストオブアスパート2は今年最高のゲームという声が名高いと同時に、本国アメリカのユーザーからは「ポリコレに配慮しすぎている」という非難がでています。そして、主人公エリーのパートナーであるディーナもポリコレ要素満載です。このゲームをした人ならわかりますが、どうも、このディーナっていう登場人物が日本人にはなじみのないユダヤ教という宗教を信じているようなのです。これもポリティカルコレクトネスが影響しています。日本人にはいまだになじみのないポリティカルコレクトネスについて、またユダヤ教について、日本人であり、アメリカの宗教(?!)であるキリスト教を信じ、キリスト教の源流であるユダヤ教についてもある程度通じている、筆者からわかりやすく説明します。そう、このゲーム、ユダヤ教やキリスト教の背景を知っていればゲーム中思わずニヤリとしてしまうこともいくつかあるのですが、日本人ユーザーのほとんどが宗教に疎いため、ゲームの面白さを十分拾えずにいるのです。
そもそも「ポリコレ」って何?
ポリコレとはポリティカルコレクトネス(political correctness)の略で「政治的公正」や「政治的中立」と訳されます。社会のあらゆる段階からあらゆる差別をなくそうとする考え方です。たとえば「看護婦」という表現を男女平等に基づいて「看護師」という言葉に改めるというのもこの考えに基づいた初歩的なものです。さらにこの考えを推し進め、言語表現だけでなく社会構造や、創作物にまでその考え方を適用させていきます。例えば、ドラマをみていて、身体障害がテーマのドラマだったら身体障碍者がでてくることもあるでしょうが、それ以外の恋愛ドラマだったり、SFドラマに障碍者が出てくることはまずありません(主人公が義手でその義手が武器になるなど、主人公のキャラづけに用いられているものは別)よね。でも実際は社会には身体障害、精神障害、知的障害などなんらかの障害を抱えた人の合計は全人口の1割程いらっしゃるのですから、登場人物の10人に一人はなんらかの障害を抱えている人がドラマの登場人物であってもいいはずですが、実際はほぼゼロです。変に登場させて、それがために何かのシーンやセリフが視聴者から差別と受け止められて、障碍者団体からクレームがきたら嫌だから最初からそう言う人は外しておこうとドラマ制作のプロデューサーが出てくるかもしれません。つまり「差別するつもりはないし『差別』といわれたくないので(最初から登場させないというかたちで)差別する」ということが実際問題としてあるわけです。ポリコレはこのような見えにくい差別まで是正しようとします。ラストオブアスにはゲームの製作者にこのポリティカルコレクトネスの信条を強く信じている人がいて、ゲームの中にそのような要素があまりに多く、米国ユーザーからはそれが違和感を感じるほどだというのです。対して日本のゲームユーザーはそんな背景を知らず純粋に洋ゲーとして楽しんでいるようです。
ディーナの信じているユダヤ教って
そんなポリコレ要素もあってか、同ゲームの主人公エリーのパートナーであるディーナは米国社会では少数派の非キリスト教徒、ユダヤ教徒としてえがかれています。なぜそれがわかるかというとゲームの途中でシナゴーグ(ユダヤ教会)を訪れ、ディーナ自身の口から姉の存命中はよくシナゴーグに通ったというのです。ユダヤ教はキリスト教、イスラム教の元にもなった宗教で、その歴史は古く、旧約聖書によれば3500年以上の歴史をもちます。

また、ゲーム中他にもディーナがユダヤ人であることがいくつも示唆されていますが、宗教に疎い日本人のほとんどは、このゲームの宗教に絡むリアルさ、奥深さを理解できずにスルーしまい、ゲームの面白さを半減させてしまっています。次回、実際のゲームのプレイ画像を見ながら、その点に迫っていきます。
コメント
無宗教な日本人からするとユダヤ教、って設定にとくに違和感なく、むしろワールドワイドなゲーム設定に感じられましたけどね。
いわれて、「ああこれがポリこれね」って感じで、政治的意図は至るところに感じましたけど。